【警察の闇】未だ戦い続ける免罪事件の狭山事件の真実….

1963年5月23日、当時24歳の石川一雄が逮捕された。石川は被差別部落の貧農の出身であり、養豚場勤務を経て、逮捕当時は鳶職の手伝いをしていた。

石川は、のちに強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂・窃盗・森林窃盗・傷害・暴行・横領で起訴され、一審では全面的に罪を認めたが、一審の死刑判決後に一転して冤罪を主張。その後、無期懲役刑が確定して石川は服役した(1994年に仮釈放されている)。

本事件については、捜査過程での問題点を指摘する声もあり、石川とその弁護団や支援団体が冤罪を主張して再審請求をおこなっているものの、袴田事件などとは異なり日本弁護士連合会が支援する再審事件(冤罪事件である可能性があるかどうか、などを基準に日弁連が再審請求を支援する事件)には含まれていない。再審えん罪事件全国連絡会の加盟事件にも含まれていない。

石川が被差別部落の出身であることから、本事件は部落差別との関係を問われ、市民権運動の時代に大きな争点となった。部落解放同盟や部落解放同盟全国連合会などの部落解放運動団体や、中核派・革労協・社青同解放派などの政治党派の立場からは、この事件に関する裁判を狭山差別裁判と呼ぶ。「差別裁判」と呼ぶのは、狭山弁護団の松本健男によると、事件や裁判の背景に「部落差別に起因する無学無知」があったためであるという。しかし、満足な学校教育を受けなかった点については石川当人が「被差別部落出身だからというわけではなく、そんな時代でした」と発言している。「差別裁判」という呼び方には被差別部落の内部にも反対する意見があった。

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